レイシズムと民族主義は違う

[1]レイシズムとは 

    (1)Wikiより

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5

人が自らとは異なる人種に対して形質的差異をもって差別すること。一般に白 人黒人アジア人など、肌の色や顔立ちについての伝統的な人種観念に 基づく差別をさすことが多い。対して言語や文化・宗教などの民族による差異に対する差別は民族差別と呼称される。

英語では人種差別と民族差別をひとくくりにしてレイシズム(racism)と呼ぶが、区別が定 かではない。 社会学者ロバート・マイルズによれば、レイシズムは以下のように定義される。

 

人種差別撤廃条約で は、人種差別の定義を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若し くは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会 的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を 有するもの」と定めている。

これらの差別では、一方の人種を貶める事で、大々的にそれらの人種から搾取を行う場合が多く、不当搾取の前駆として、今日では人道上、 忌み嫌われる行為となっているが、根強く差別が続いた地域で育った人や、悪意 を持って差別をする事で何等かの利益を得ている人も少なからずあり、それら差別を行う側の存在が問題視されている。

国際連合教育科学文化機関(UNESCO)は1951年に「人種 の優劣には根拠がない。」 「人種混交が生物学的に不利な結果をもたらすという証拠もない。」という「人種と人種差別の本質に関する声明」を出している。

   (2)深谷 志寿

http://www.hum.u-tokai.ac.jp/~sitosi/Pages/Japanese_Pages/Daigaku/Koogi_nooto/zyosetu_minzoku.html
人種とは人間を形質人類学的に、すなわち動物学的な観点から分類したものであり、文化的・歴史的分類である「民族」とは違う。人を純粋に遺伝子的・外見的 に分類したものである。現代人は全て動物学的には「ホモ・サピエンス・サピエンス」(Homo sapiens sapiens) という一種に属するとされている。その Homo sapiens sapiens をさらに形質的に下位分類したものが「人種」である。
「人種」は主に「白色人種」(エウロポイド、コーカソイド)(europoid)、「黄色人種」(モンゴロイド)(mongoloid)、「黒色人 種」(ネグロイド)(negroid) の三大人種によって分類されることは一般によく知られていることである。それらの人種の最も主要な棲息地域は、非常に乱暴で大まかな言い方をすれば、「白 色人種」が欧州に、「黄色人種」が(東)アジアに、「黒色人種」がアフリカに分布していると言える。しかし、現実にはこれらの人種の形質的な差異は段階的 であり、一方の人種の生息地から他方の人種の生息地に掛けての移行は段階的で明確な境界線はない。実際に地球に棲息しているヒトの多くは、実は人種的には ある意味で“雑種”に属する者が多いのだという事実は常に心に留めておかなければならない。
「人種」において重要な事は、これは生物学的な形質に基づいた分類であり、「民族」とは必ずしも一致していないということである。すでに「民族」の定義は 非常に曖昧であると言うことは述べたが、それでも「民族」と「人種」は明確に違うのだと言うことは肝に銘じておかなければならない。特に日本列島に居住し ているヒト種は、その圧倒的多数が人類学的にはモンゴロイドであり、民族的には日本民族に属するとされているために「民族」と「人種」の厳密な区別が意識 化されない傾向があるが、これは世界では一般的ではない。また、「日本人=黄色人種」という思い込みが強いが、実は日本列島においても、その地域によって エウロポイドやネグロイドの形質も一部見られる場合もあるということは忘れ去られがちである。

  (3)人種主義とは

人種が生物学的なヒトの分類であるから、ヒトを外見から判断し、遺伝形質や肌の色というもので判断する主義といっていいであろう。そして生物学的な遺伝的 な要因がヒトの何ものかを決定するという考えでもあろうか。

[2]民族とは

先の深谷論文によると

  1. 言語
  2. 宗教
  3. 国境
  4. 認識

によって様々な態様があり、様々な民族がある。同一言語であっても宗教が異なるために民族が違うとされていたり、母語が同じであっても、その表記方法が 違っただけで異民族とみなしていたりして、捉えどころのない概念である。
私はかつてより、民族とは自己認識であるという説を支持してきている。つまり、自分はどのような文化的集団に所属し帰依しているのかという自己認識であ る。

[3]レイシズムと民族主義

民族とは言語的・宗教的・政治的つまりは文化的なものである。人種は生物学的な概念であり、その混同は避けねばならないのはいうまでもない。レイシズムと いう言葉を民族主義と混同して意図して使っているような節がある。

(1)とある学者

http://note.masm.jp/%A5%EC%A5%A4%A5%B7%A5%BA%A5%E0/

レイシズム

人種間には本質的な優劣の差異があるとする見解に基づく態度や政策。
19世紀末のヨーロッパで広まり、優秀民族支配論・有色民族劣等論などを生み出した。

(2)とある人物

http://critic3.exblog.jp/5291310/

そして日本では「レイシズム」は「ジェンダー」と同じような学術的で専門的な岩波文化世界のタームとロジックとなり、その概念と視座と関心の中に韓国朝鮮 への民族差別は入らず捨象され、レイシズムは熱心に議論研究されるが自分自身がやっている民族差別は対象化されないという倒錯した「社会科学的結果」を導 出する。アカデミーの自己欺瞞。久米宏のような常識と感性を持った報道者は出ず、マスコミの解説者や市民派ブログは「欧州ではレイシズムへの関心が高くて ジダンはレイシズムと闘う象徴で云々」と一般論を流して済まし、その裏側で右翼掲示板的な「嫌韓論」の極論が数を集めて常態化するのである。数と勢いの政 治が恥ずべき民族差別の極論や言語道断の暴論を多数世論にする。それに歯止めをかける人間がおらず、歯止めする声が上がらない。この問題は本当に深刻な問 題で、知識人が声を上げて言わなくてはいけない問題なのだが、正論を正論として言う人間がいない。左翼の自己欺瞞を暴露しよう。

(3)とある左翼

http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10296143633.html

民主党の吉田康一郎氏が、「不逞朝鮮人は全員出て行け」と「在日特権を許さない市民の会」の集会で発言したそうである。発言の詳細は、『日刊ベリタ』で紹 介されている(→「インターネット上に流れている東京都議会議員吉田康一郎氏の発言を紹介  「在日特権」「不逞朝鮮人」といった言葉が並ぶ」 6/30)。演説の様子がYouTubeで見ることができる。リンクは『ベリタ』の記事にあるのでご覧いただきたい。
考えるまでもなくあまりに酷い発言であるし、政治家としては完全に失格であるが、ここまで酷いと、問われるのは民主党の対応である。つまり、レイシズム や排外主義丸出しの発言を公の場でするような人物(滑稽なのは、本人はそう思っていないとわざわざ演説の中で言っていることだ)を、ロクに批判もせず放置 しておくのかどうか、ということだ。

(4)意図した誤用


深谷氏の定義からするとまた私の定義からしても、民族と人種は意図的に誤用されているとしか思えない状況です。きっちり言葉を吟味して使ってこそ言論活動 であるのに、人種主義は人間を生物学的に判断していくということでその生来の何かが決定されるのは中身ではなくあくまでも外見にすぎないのは言うまでもな いことから成立は今日の科学的な知見の前には可能性が薄い。しかしながら民族主義は民族という自己認識に基づく集団主義であり、朝鮮民族と思っている集団 が政治権力を求めたり、日本民族と思っている人々が、日本民族語を日本国家の共通語としておくことを求めたりすることは起こりうることである。つまり、あ りうることをありえないことで否定しようという意図があるのではなかろうか。

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